記事ID11947のサムネイル画像

    F1グランプリの名門コンストラクター ロータスの歴史を振り返る

    F1の世界でロータスの名を知らない人はいません。ロータスは故コーリンチャップマンが結成したF1グランプリの名門中の名門です。そんなロータスですが、F1での歴史を紐解き、栄光のマシンたちを紹介していきます。ロータスを知らないF1初心者の方もぜひご覧ください。

    栄光と挫折 ロータスF1での歴史

    ロータスはロードカーを作っているメーカーですが、F1にも参戦しています。
    それは過去にも参戦していましたし、2015年までその名が引き継がれました。
    しかし華々しい栄光だけでなく、ロータスはさまざまな苦難があったチームでもあります。

    それではF1でのチームロータスの歴史を紐解いてみましょう。

    故コーリン・チャップマン氏

    チームロータスを設立したのがコーリンチャンプマン氏です。F1界に華々しい戦績を残しました。F1に革命をもたらした、偉大なるチーム監督でもあります。

    アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン CBE(Anthony Colin Bruce Chapman 、1928年5月19日[1] - 1982年12月16日)は、自動車産業に強い影響を与えたイギリスのデザイナー、発明家、製造者、F1ドライバー。彼は1952年にロータス・カーズを設立した。彼の有名なパフォーマンスに「自チームの車が勝つと、自分の被っていた帽子を投げる」というのがあった。 コーリンは1982年12月に、心筋梗塞のため54歳で急逝した。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    ロータス18

    スターリングモスのドライブで1961のF1グランプリで初優勝しました。

    コーリン・チャップマンにより設立されたロータス・エンジニアリングはF2で活躍していたが、1958年にはグラハム・ヒルらを擁してF1に参戦を開始。1960年のモナコGPではスターリング・モスがロブ・ウォーカー・レーシングに供給された「ロータス 18」を駆り、ロータスのシャシーとして初優勝。また、1961年のアメリカGPではイネス・アイルランドがワークスチームとしても初優勝を果たした。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    F1シリーズチャンピオンを獲得したロータス

    ロータスF1、参戦4年目でシリーズチャンピオン獲得!

    1963年のF1グランプリは、スターリングモスのドライブで勝利を築き、ロータスF1はドライバーズとコンストラクターズの両チャンピオンを獲得しました。

    1962年には、バスタブ型のモノコック構造を初めて取り入れた25を駆った新鋭のジム・クラークが、9戦中6回のポールポジション、3度の優勝という活躍を見せた。この年はマシンの熟成が進んでいなかったために、BRMのグラハム・ヒルにチャンピオンを奪われるが、翌1963年になると、10戦中7回のポールポジション、7勝で開幕戦モナコGP以外は全て表彰台という圧倒的な強さで初のチャンピオンに輝く。同時にロータスも初のコンストラクターズチャンピオンを獲得した。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    ロータス F1 常に革新的な技術で話題に

    ロータス78をドライブするマリオアンドレッティ(1977年チャンピオン)

    サイドポンツーンに空気を取り入れ、ボディ全体でダウンフォースを得るグランドエフェクトカーを開発。この仕組みはロータスが考えたもので、F1に革命をもたらしました。

    1977年に登場した78はこれまでの常識を覆す、グラウンド・エフェクト・カーという新機軸を打ち出した。翌1978年にこれを発展させた79は圧倒的な速さを見せ、マリオ・アンドレッティをワールドチャンピオンに導いた。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    ロータス99T

    コンピューターでサスペンションの動きを制御するアクティブサスペンションを開発したのもロータスが最初でした。このようにロータスは常にF1界に新しいテクノロジーを導入していったのです。

    F1のヒーロー、故アイルトンセナ選手もロータスのドライバー

    ロータスF1に乗る、故アイルトンセナ選手

    1985年には、前年トールマンで新人ながら光る速さを見せていたアイルトン・セナを獲得する。 セナを獲得したロータスはトップ集団に復帰する。中でも予選でのセナは速さは特筆もので、シーズン最多の7ポールポジションを獲得し、雨絡みのポルトガルGP、ベルギーGPで初勝利と2勝目を挙げた。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    日本人初のF1パイロット ロータスでF1デビュー!

    日本人初のレギュラーF1パイロット、中嶋悟選手

    ロータスF1は日本人で初めてレギュラードライバーとして中嶋悟選手を起用しました。日本でもF1のシリーズ戦が放送されるようになり、F1ブームが巻き起こりました。

    ロータス F1 チャップマンなきあとの挫折

    パシフィックチームロータス(1995年)

    ロータスは1987年を最後に、優勝争いから遠ざかってしまいました。
    その後、1994年にはチームが解散。商標権をパシフィックに使用させたのです。

    1995年シーズンは、新オーナーとなったデヴィッド・ハントが、パシフィックチームに実質名義貸しを行い、「パシフィック・チーム・ロータス」としてエントリーシートに名前こそ残ったが、あくまで商標権が提供されただけであり、チームの実体にロータスの関わりは一切なかった。

    出典:http://ja.wikipedia.org



    このパシフィックロータスも残念ながら財政難におちいり、1年限りでF1から撤退してしまいました。

    現在のF1に復活したロータス しかし…

    ロータスF1チーム E23 Hybrid

    2012年より、ロータスルノーGPからチームの名称を引き継ぎ、ロータスF1チームとしてF1グランプリに参戦。

    しかしこのロータスF1チームも2015年限りで消滅。
    翌シーズンからは新名称でレースに参戦することになりました。

    ロータス F1 まとめ

    いかがでしたか。

    ロータスのF1での活躍を、おおまかにまとめてみました。
    ロータスは名門F1チームでしたが、1994年に一時消滅。

    その後ロータスの名が帰ってきましたが、
    紆余曲折あり残念ながら2016年のF1にロータスの名前は再び消えることになりました。

    しかしそれだけロータスはF1にとって大切な名前だったのかもしれません。

    最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

    関連する記事

    この記事に関する記事

    TOPへ