2016/03/09 更新
トヨタがF1に挑戦した8年間の軌跡!その戦いぶりを調べて見ました!
世界トップクラスの自動車メーカーに成長したトヨタが満を持して世界最高峰の自動車レースであるF1に参戦しました。2002年から2009年の8年の間、F1に挑戦したトヨタはどのように戦っていったのでしょうか?トヨタのF1参戦について調べて見ました!!
トヨタF1
2002年から2009年までの8年間、シャーシ、エンジン共に開発するフルコンストラクターとしてF1に参戦していました。
2001年のシーズンからF1参戦予定でしたが、エンジンレギュレーションの変更によりV12エンジン搭載予定がV10エンジンに変更されるなどして準備が遅れたため、2002年からの参加となりました。
モータースポーツの最高峰であるF1世界選手権は国際自動車連盟(FIA)が主催する自動車レースです。
世界各国を転戦してレース毎の成績でポイントが決まり、年間チャンピオンがドライバーとF1を製造開発するコンストラクターに与えられます。
トヨタ初のF1カー TF101テストカー
トヨタF1 TF101
F1参戦にあたりトヨタが19ヶ月かけて作り上げたテストカー
デザイナーはル・マンマシンのTS020を作成したアンドレ・デ・コルタンツ
しかし、テスト結果が振るわずデザインも古いなどの理由によりアンドレ・デ・コルタンツは解雇されました。
8ヶ月間、3,000ラップ以上、累計20,967kmの膨大なテストを行い、F1参戦のための貴重なデータ収集をトヨタにもたらしました。
トヨタF1デビューとなるマシン TF102
トヨタF1 TF102
2001年5月から参加したグスタフ・ブルナーがチーフデザイナーとなり新型車を完成させました。
2003年のトヨタF1参戦マシン TF103
トヨタF1 TF103
TF102をベースに進化させたTF103
新エンジンのRVX-03の搭載で戦闘力のアップを図りました。
2004年のトヨタF1参戦マシン TF104
トヨタF1 TF104
グスタフ・ブルナーが手がけた最後のトヨタF1 TF104
TF102から続く進化版だと考えられているマシンでした。
グスタフ・ブルナーはシーズン途中で解雇となり、代わりにマイク・ガスコインが加入、ドイツGPから改良型であるTF104Bが投入されました。
2005年のトヨタF1参戦マシン TF105
トヨタF1 TF105
マイク・ガスコインがメインデザイナーとなり開発されたTF105
2005年の新レギュレーションに合わせ空力パッケージの変更が行われました。
2006年のトヨタF1参戦マシン TF106
トヨタF1 TF106
前倒しでマシン開発を行い、11月末にTF106を発表、第7戦のモナコGPでTF106Bを投入しました。
エンジンはレギュレーションの変更により3LV10から2.4LV8に、タイヤはミシュランからブリジストンに変更されました。
2007年のトヨタF1参戦マシン TF107
トヨタF1 TF107
新エンジン、新タイヤに合わせて新しく設計されたFT107
テクニカルディレクターを筆頭に各部門の合議体制により開発されました。
2008年のトヨタF1参戦マシン TF108
トヨタF1 TF108
抜本的な空力特性の改善が図られたFT108
低速コーナーを得意としテクニカルなコースで力を発揮しました。
2009年のトヨタF1参戦マシン TF109
トヨタF1 TF109
シャーシ部門のシニア・ゼネラル・マネージャーであるパスカル・バセロンが中心となって設計開発されました。
それでは、トヨタはどのような成績を収めたのか見てみましょう!!
トヨタF1
2002年
コンストラクターズ選手権 10位
ドライバーズ選手権 17位ミカ・サロ
19位アラン・マクニッシュ
2003年
コンストラクターズ選手権 8位
ドライバーズ選手権 13位クリスチアーノ・マッタ
15位オリビエ・パニス
2004年
コンストラクターズ選手権 8位
ドライバーズ選手権 14位オリビエ・パニス
17位クリスチアーノ・マッタ
2005年
コンストラクターズ選手権 4位
ドライバーズ選手権 6位ラルフ・シューマッハ
7位ヤルノ・トゥルーリ
2006年
コンストラクターズ選手権 6位
ドライバーズ選手権 10位ラルフ・シューマッハ
12位ヤルノ・トゥルーリ
2007年
コンストラクターズ選手権 6位
ドライバーズ選手権 13位ヤルノ・トゥルーリ
15位ラルフ・シューマッハ
2008年
コンストラクターズ選手権 5位
ドライバーズ選手権 9位ヤルノ・トゥルーリ
10位ティモ・グロック
2009年
コンストラクターズ選手権 5位
ドライバーズ選手権 9位ヤルノ・トゥルーリ
10位ティモ・グロック
18位小林可夢偉
トヨタF1
リーマンショックによる経済の悪化のため、赤字に転落したトヨタはF1撤退を決定します。
8年間でポールポジションを獲得することは出来ましたが、優勝は出来ませんでした。
トヨタとしても不本意な成績で終わったF1参戦だったのではないでしょうか