2016/10/30 更新
これぞトヨタのスポーツカーと言って良い5車種のご紹介をします!
現在世界のトップメーカーとして君臨しているトヨタ。保守的な車ばかりを作ってきたわけではありません。攻めたスポーツカーを世に送り出してきた歴史もきちんとあります。今回はトヨタが現在の車社会に一石を投じたと思われるスポーツカーのご紹介をしたいと思います。
トヨタスポーツ800
1965年~1969年までに約3000台販売されたS800です
トヨタのスポーツカーの歴史を紐解く上で欠かせない存在なのがこのスポーツ800です。スポーツの頭文字をとってエスハチと言われる事もありますが、やはりしっくりくるのはヨタハチです。
エンジンは2U型 790cc 空冷水平対向2気筒OHVで、最大馬力は45馬力でした。当時の価格で約60万円のこのスポーツカーは、ホンダのSシリーズの好敵手でした。
トヨタ2000GT
1967年~1970年まで生産されたスポーツカー。DOHCエンジンのMF10とMF12Lでしたが、わずかながら廉価版として開発されたのが、OHC2300ccのMF12Lでした。売り出し価格238万円は当時としては破格の値段設定だったのでしょう。
日本のモータリゼーションの進化が始まり、ライバルはマツダコスモスポーツ、日産フェアレディなどクセの強い車が多かった時期の車です。
トヨタセリカリフトバック2000GT
1973年に発売されたセリカLB2000GTは「ダルマ」と呼ばれた初代セリカのエンジン強化バージョンでした。レビン・トレノに積まれていたヤマハ製2TGエンジンから、DOHC2000ccの18RGエンジンに換装され、145馬力を誇っていたこの車を、当時の若者はバンパーを車両と同色に塗り、フェンダーミラーを砲弾型の物に取り換え、車高を低くして乗っていました。ライバルには日産スカイラインが挙げられます。
トヨタMR-2
初代MR-2は1984年~1989年まで、AW11として販売されていた。
日本初の市販リアミッドシップスポーツカーとして産まれたトヨタMR-2は、1600ccながら後期型のGおよびG-Limitedには、スーパーチャージャーが装着されており、DOHCの4A-G型エンジンと相まって145馬力のハイパワーを絞り出していました。当時フロントミッドシップを謳っていたマツダRX-7が峠でのライバルだったようです。
トヨタの次世代スポーツカーFT-1
2014年デトロイトのモーターショーで発表された3リッターマシン
長くそのスペックは隠されていましたが、やっと全貌が見えてきたスポーツカー。6気筒3000ccターボエンジンに8速オートマチックを積み、330馬力のパワーを受け止めます。まだ販売に至っていないのですが、ライバルはホンダのNSXあたりでしょうか。企画販売は当然日本ですが、エンジンはドイツ、デザインはアメリカという稀な作り方のされた次世代スポーツカーに期待が高まります。
ヨタハチにはエスハチ
最大馬力70馬力をたたき出した三代目エスハチは、本格スポーツカーとしてレースにも使用された
トヨタ2000GTにはコスモスポーツとフェアレディ
世界初の実用・量産ロータリーエンジンを積んだコスモスポーツは1000cc未満の排気量にも関わらず128馬力を誇っていました
国産初の200km/hオーバーのスポーツカーとして話題を集めたのはSR31型と呼ばれたフェアレディ2000の事です。ソレックスキャブレターの力を借りて145馬力を叩き出しました。
セリカLBにはケンメリスカイライン
トヨタセリカLBの一年前に登場したケンメリスカイラインは、初代のプリンススカイラインから数えて四代目にあたります。たった197台しか生産されなかったGT-Rは旧車マニアの憧れの的になっています。
MR-2にはRX-7
輸出用の13B型エンジンには及ばないものの、日本仕様には12A型エンジンにターボを積んだモデルが追加されました。ロータリーターボは世界初で、その後ルマン24などで活躍する礎となりました。スポーツカーと言うよりは和製スーパーカーとも言うべき一台でした。
FT-1にはNSX
言わずと知れたホンダの世界戦略スポーツカーNSX。1990年の発売開始以来、近未来的なスタイルと圧倒的なパワーユニットで日本のスポーツカー業界を引っ張ってきました。遂に今年の8月から新型が発売されました。トヨタFT-1のよきライバルだと思います。
トヨタのスポーツカーにかける思いは今も昔も変わりません。「スポーツカー文化を日本に」というのがそれです。一時それを忘れていた時期もあったそうですが、トヨタは深く反省をしてこれからも素晴らしいスポーツカーを作り続けていくでしょう。