トヨタ ヴィッツがWRCに復帰する!?2017年から18年ぶりに参戦!!
2016/02/08
bruklyn
2016/01/31 更新
それまで世界各地でそれぞれに開催されていたラリーを組織化したWRC。スバルのモータースポーツ活動はサザンクロスラリーから始まり、そしてWRCへと移りますが、2008年にスバルはWRCでの活動を終了。ここではスバルのモータースポーツ活動を振り返ります。
WRCとは「World Rally Championship」の略で、FIAが主催する世界ラリー選手権のことです。
マニュファクチャラー選手権には製造メーカー・ワークスがエントリーでき、最も多くのポイントを獲得したメーカーがマニュファクチャラーズ部門の優勝となります。
WRCのマニュファクチャラーズタイトルはメーカーに対して与えられるため、タイトル獲得時の宣伝効果を期待して各メーカーとも力を入れています。
WRC ロゴ
WRCのロゴ。
WRCが創設された1973年から1980年代初頭までは、各メーカーは市販車を強化した特別仕様車をベースに競技用車両を開発していました。
当時はほとんどが2WDでしたが、1981年に4WD+ターボエンジンを採用したアウディ・クワトロがラリーを席巻し、その後のラリーカーの方向性を決定づけることになりました。
スバルはその前年にボクサーエンジン+4WDのレオーネで参戦、活躍しています。
それまで複雑だったグループ規定が簡素化され、WRCはグループBになりました。
グループBは、連続した12ヶ月間に200台を生産すれば良いというものでしたが、劇的な走行スピードの向上に安全面が追いつかずに事故が多発。
FIAは1986年にグループBの廃止を決定、翌年からグループA規定への移行を発表しました。
グループA規定は、ベース車両は12ヶ月間に5,000台以上の生産義務があり、さまざまな改造規制によって、市販車に近いものとなりました。
ハンドリングの向上やタイヤ性能の進化により車両性能は年々向上し、4WDと2.0ℓターボエンジンは必須装備となりましたが、高性能スポーツ車両を生産・販売出来るメーカーは少なく、参戦メーカー数は減少しました。
日本のメーカーはこぞって高性能4WDスポーツ車を販売し、それまでWRCの中心を担ってきたヨーロッパの自動車メーカーに代わり、日本のメーカーがWRCを席巻しました。
しかし最低生産台数がネックとなり、1997年に新たなワールドラリーカーの規定が導入されました。
この時代、スバルはレオーネ、レガシィ、インプレッサが活躍しました。
ワールドラリーカーは、最低生産数が25,000台に下げられ、改造範囲も広がりました。
生産数の関係で参加ができなかったヨーロッパのメーカーが再びWRCに参戦しました。
スバルはインプレッサを投入するもトラブルが多発し、2008年にマニュファクチャラーズ選手権から撤退しました。
1973年、オーストラリアのサザンクロスラリーに社内活動として挑戦したのがスバルのモータースポーツ活動の始まりです。
スバルは1980年のケニア・サファリラリー(当時はWRCの一戦でしたが、現在はアフリカラリー選手権となっています)に「レオーネ・スイングバック・SRX」で挑戦し、総合18位、クラス優勝となりました。翌年もスイングバックで参戦し、総合11位、2年連続クラス優勝となりました。
1983年には当時の日本人WRC入賞最上位となる総合5位・クラス優勝を果たしました。
結果、当時珍しかったボクサーエンジン+4WDの優位性を証明することができました。
その後サファリラリーでは1997年と2000年に「インプレッサWRC」で優勝しました。
スバル「レオーネ・スイングバック・SRX」
サファリラリーで活躍したスイングバック。
1988年にスバルのモータースポーツ部門・STIが設立。
1990年にイギリスのプロドライブと提携し、スバル・ワールド・ラリーチームとしてWRC本格参戦がスタートしました。
グループNを「レガシィ RS」で完走し、スバルとしてはその後7年に渡りクラス制覇をしました。
1993年にグループA仕様の「ヴィヴィオ 4WD」で参戦し完走、総合12位、クラス優勝しました。
スバル「レガシィ RS」
1993年、ニュージーランドにてコリン・マクレー氏がスバルでWRC初勝利。
スバル「ヴィヴィオ 4WD」
同一クラス車両が他にいなかったため、完走=クラス優勝となりました。
1993年に「インプレッサ WRX」を投入し、1995年から1997年にかけてマニュファクチャラーズ部門3連覇を果たしました。
1995年にコリン・マクレー氏、2001年にリチャード・バーンズ氏、2003年にペター・ソルベルグ氏がドライバー部門で優勝しました。
スバル「インプレッサ WRX」
スポンサー「State Express 555」の555ロゴがデザインされたインプレッサ。
ウェールズラリーGB(1995)の表彰式
スバルはマニュファクチャラーズタイトル獲得。
コリン・マクレー氏もドライバーズタイトルを獲得。
スバルはワールドラリーカー規定に移行後、「インプレッサ WRC」を開発しましたが、なかなか成果が上げられませんでした。
2008年シーズンを最後に、世界同時不況・本社業績悪化の影響でWRCから撤退しました。
2016年現在、WRC通算47勝(レガシィ1勝、インプレッサ46勝)は国内メーカーの中では最多となっています。
スバル「インプレッサ WRC」
ペター・ソルベルグ氏がドライバーズタイトルを獲得した2003年仕様。
PWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)とは、2002年から開催されたFIA公認WRCカテゴリの一つです。
使用車両は、12ヶ月間に2,500台以上生産された市販車ベースで、排気量2,000cc以上のN4クラス、改造範囲は安全対策などの最低限のみとなっております。
そのため2007年に新規定が導入されるまでは、ベースとなる市販車そのものが高性能である必要があり、ほとんどのドライバーが三菱のランサーエボリューションとスバルのインプレッサを使用しました。
現在はWRC-2、WRC-3に移行されています。
スバル「インプレッサ WRX STI」
PWRCで新井敏弘氏が使用したWRX STI。
PWRC歴代チャンピオンのうち、マーチン・ロウ氏(2003)、ナイオール・マクシェア氏(2004)、新井敏弘氏(2005、2007)、ナサール・アルアティヤ氏(2006)、へイデン・パッドン氏(2011)がスバルの「インプレッサ WRX STI」で優勝しています。
最後にWRCで活躍したスバル車のホビーを紹介します。
優勝年、ドライバー仕様は特別な感じがしてファンにとってはたまりません!
スポーツカー・ラリーカーのコレクションは参加した年、ラリーによってデザインが微妙に違うので、集めて並べてみるのもおもしろいですね。
タミヤ「スバル インプレッサ WRC 新井仕様」
プラモデル「タミヤ 1/24 スポーツカーシリーズ No.227」。
ハセガワ「スバル インプレッサ WRD “1995 モンテカルロラリーウィナー” スーパーディテール」
ハセガワの「コレクターズハイグレードシリーズ」に1/24スケールで発売。
1995年のWRCモンテカルロラリーで優勝したモデルを再現。
WRC野外メンテナンス ジオラマ
タミヤの商品を使った野外メンテナンス風景のジオラマ。
スタッフや工具も細かく作りこまれています。
「スバル レガシィ RS '1993」
1/43スケールのミニカー。
1993年、ニュージーランドにて優勝したレガシィ RS。
CM's「スバル インプレッサ WRX 1995 Monte Carlo C.sainz」
CM'sのラリーカーコレクションミニカー。
「1/64 ラリーカーコレクション スバルWRCの軌跡 ミニカー15台セット」
並べてみるとラリーカーの変遷がわかりやすい。
タミヤ「スバル インプレッサ WRC '99」
ワールドラリーカーに移行後のインプレッサのラジコン。
いかがでしたか?
ラリーの影響もあり、スバルといえば青というイメージがつきましたね。
青い車体に金の星のマークがかっこいいのも人気の一つです。
残念ながらスバルはWRCから撤退してしまいましたが、モータースポーツ活動が終わったわけではありません。
スバルとSTIはニュルブルクリンク24時間レース、SUPER GTシリーズ、グローバルラリークロス選手権などへの参戦計画があります。
今後の活躍にも期待したいですね。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局