F1レースの勝敗に大きく左右するパーツ。タイヤは生き物なんです。
2016/11/30
zx900a2
2016/11/29 更新
F1でも有名なロータス。ロータスといえばハンドリングのイメージがありますね。F1でもシャシーでのコンストラクターなのです。F1の歴史も長いのです。また有名なドライバーも多数輩出しています。そんな歴史ある名門ロータスについてまとめてみました。
2015年を最後にロータスのF1チームはルノーに再買収されて、2016年からはF1から「ロータス」の名前が消えました。悲しい出来事でした。ここまででも色々とチーム名は変わりましたが、F1において歴史あるチームがなくなったわけです。
ルノー 2016年からワークスチームとしてのF1参戦を開始
2015年を最後に「ロータス」の名はF1界から消え、翌年の2016年からは、ルノーがワークスチームとしてF1参戦をすることとなりました。
コーリン・チャップマンにより設立されたロータス・エンジニアリングは1958年にF1参戦を開始。1960年のモナコGPでは「ロータス 18」がロータスのシャシーとして初優勝。1961年のアメリカGPではワークスチームとしても初優勝を果たした。
ロータス25
1963年ジム・クラークが乗ってF1ワールドチャンピオンシップで優勝したロータス25。ちなみに、国際オークションにかけられ(買い手の保険を含めて)1,525,500ドル(1億4,716万4,992円*)で落札された。
ロータス72
日本に現存する72/3。当時のナンバー2であるジョン・マイルズのために70年のドイツGPから用意された個体で、最初からCスペックとして生まれている。75年まで南アフリカ選手権で活躍した。
ロータス79
F1マニアの間では『史上もっとも美しいマシン』と言われています。シャーシ下面に流れる空気に注目した最初のマシンでもあります。現在のF1の原型ですね。またカラーリングのJPSがカッコよかったのです。
ロータスT99
ホンダV6ターボを載せ、日本人初のF1レギュラードライバーとなる中嶋悟がドライブしたことで有名なマシン。アイルトン・セナがチームメイトでした。メインスポンサーはJPSからキャメルに代わり、ボディーはキャメルイエローになりました。
ロータスE23Hybrid
2015年、ロータスとしての最後のマシン。エンジンをルノーからメルセデスへ変更。獲得ポイント
78p、決勝完走率60.5%、予選最高順位4位、決勝最高順位3位と前年を上回る成績をおさめた。
ロータスのF1ドライバーでこの2名を抜きにしては語れないでしょう。どちらも歴史に名を残す、偉大なドライバーです。どちらも事故死してしまったのが本当に残念です。もし同じ時代に二人が居ればどちらが早かったのでしょうか?そんな妄想もしてしまう二人です。
ジム・クラーク
スコットランド出身。フライング・スコットの異名を持つ。F1の歴史において最も優れたドライバーのひとり。シーズン7勝は1988年にアイルトン・セナが8勝を上げるまで抜かれることはなかった。天性の速さの資質においてアイルトン・セナと並び称されている。
アイルトン・セナ
F1を知る人でセナを知らない人は居ないでしょう。「音速の貴公子」とも呼ばれた最高のドライバーです。1988年に初ワールドチャンピオンになり、3度もチャンピンになりました。ロータスでは中島悟とチームメイトにもなりました。
ロータスの日本人ドライバーとして一番有名なのは「中島悟」ではないでしょうか。彼がF1日本人ドライバーのパイオニアでしょう。その後、何人もの日本人F1ドライバーが生まれました。小林可夢偉もその一人で、ロータス(当時はケータハムというチーム名)のドライバーでした。
中島悟
日本では「日本一速い男」と呼ばれた星野一義とライバル関係でした。その速さから1987年にロータスからF1ドライバーとしてデビューしました。「雨の中島」とも呼ばれ、雨のレースにはめっぽう強かったのです。アイルトン・セナともチームメイトでした。
小林可夢偉
兵庫県出身。9歳でカートを始め、少年の頃より憧れのドライバーはアイルトン・セナだと言っていました。F1ではトヨタF1でデビュー。2014年にケータハム(以前の名前はチーム・ロータス)へ移籍し、活躍しました。
2017年のルノーエンジン
ルノーに買収され「ロータス」の名がF1から消えて1年。来年も「ロータス」の名はないままF1はスタートします。いつかまた、「ロータス」の名がF1で復活することを期待しています!
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局