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    F1グランプリの欠かせない存在 歴代フェラーリF1を振り返る

    フェラーリはF1にとってなくてはならない存在です。これまで多くの栄光を掴んできたフェラーリF1チームですが、歴代F1マシンもたくさんのモデルが存在します。そこであらためてグランプリシーンを彩る、主要なフェラーリF1マシンを紹介していきましょう。

    フェラーリ F1チームとは?

    フェラーリのF1チームの名称は「スクーデリア・フェラーリです」

    フェラーリ F1チーム

    フェラーリ F1チームはたくさんのスタッフがいて、F1を研究開発しています。普通F1は車体とエンジンを別々に開発することが多いのですが、常にエンジンもシャシーも自社で開発する珍しい存在です。

    スクーデリア・フェラーリ(Scuderia Ferrari[※ 1])は、イタリアの自動車メーカー、フェラーリが運営するワークス・レーシングチームである。組織としては、同社のモータースポーツ部門(Gestione Sportiva,GES[1])にあたる。現在はF1のコンストラクターとして活動しているが、かつてはスポーツカー世界選手権にも参戦していた。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    通なクルマファンなら良く耳にする「スクーデリア」というフレーズですが、
    直訳するとイタリア語で「厩舎」という言葉になります。

    これは「チーム」に該当する意味になるそうです。

    フェラーリF1マーク

    スクーデリア・フェラーリを意味する「SF」のアルファベットが特徴です。

    フェラーリF1

    フェラーリはエンジンも自社で開発するF1では珍しいチームです。写真は1998年のV12エンジン。フェラーリのエンジンサウンドがとくにカッコ良く、まるで楽器のようです。美しいサウンドをかなで、F1ファンを熱狂させます。

    フェラーリ F1 第一号は?

    アルファロメオティーポC

    1935年。F1が始まる前、エンツォがセミワークス時代のマシンです。

    1929年、アルファロメオのレーシングドライバーエンツォ・フェラーリがレース仲間と共に「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」を創設した。当初はレース愛好家をサポートするディーラーチームであり、4輪の他にオートバイ部門もあった[2]。エンツォは現役を引退してチーム運営に専念し、アルファ・ロメオがワークス活動を休止するとマシンを借り受け、セミワークスチームとして活躍した。1935年ドイツGPでは、タツィオ・ヌヴォラーリが強力なドイツ勢を破り、歴史的な勝利を記した。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    フェラーリ500F2

    F1がはじまってフェラーリがはじめて投入したマシンです。車名はF2ですが、F1マシンです。

    1950年から始まったF1世界選手権は、「本家」アルファ・ロメオと「分家」スクーデリア・フェラーリの対決で幕が切って落とされた。1951年イギリスグランプリで、フロイラン・ゴンザレスが、それまで出走した全てのGPで勝利を獲得してきたアルファ・ロメオを初めて破り、初勝利を獲得した。この際、エンツォは歓喜とともに「私は母親を殺してしまった」と複雑な心中を洩らした。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    元はアルファロメオが「本家」で、フェラーリは「分家」だったんですね。

    F1フェラーリ初めてのチャンピオンは悲劇も…

    フェラーリ156F1

    1.5リッター規定になり、エンジンをミッドシップに搭載。フェラーリにはじめてチャンピオンをもたらしましたが…

    1961年、再び規定変更が幸いして、初のコンストラクターズとドライバーズ(フィル・ヒル)の2冠を制したが、地元イタリアGPでウォルフガング・フォン・トリップスが観客席に突っ込み死亡、14名の犠牲者を出す悲劇に見舞われた。1964年は、しぶとく戦ったジョン・サーティースが、最終戦の最終周回での逆転劇で2冠をもたらした。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    14名もの観客の命が失われました。このような尊い犠牲があって、現在のF1は安全性が向上しています。

    フェラーリF1 空力性能も進化

    フェラーリ312T

    ニキ・ラウダ選手のドライブによって、フェラーリにF1チャンピオンをもたらしました。スーパーカーブームもあって、このころの時代のフェラーリは、日本人もよく知るF1マシンです。

    新たに開発された水平対向ボクサー12気筒エンジンが、名門復活の鍵となった。1973年に25歳のルカ・モンテゼーモロがチームマネージャーとなり、1974年から加入したニキ・ラウダと共にチーム改革を行った。この年のスペインGPでF1通算50勝に到達した後、1970年代後半にチームは黄金期を迎える。横置きトランスミッションを採用したマシン、312Tシリーズで1975年からコンストラクターズ・タイトルを3連覇。ラウダも瀕死の大事故に遭いながら、1975年と1977年のチャンピオンに輝いた。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    1980年代はフェラーリF1の低迷期

    1987年日本グランプリ優勝のベルガー

    しかし1980年代後半〜90年代までフェラーリは長く不振が続きました。

    連戦連勝のマクラーレンホンダ

    強力なライバルチームを前に、フェラーリはなかなかチャンピオンになることができません。

    シューマッハの加入で再びフェラーリF1黄金期

    ミハエル・シューマッハ選手

    90年代後半、シューマッハ選手の加入でフェラーリはみるみる戦闘力を増していきます。

    2000年は、前年第8戦イギリスGPでミハエル・シューマッハが事故により欠場後、同シーズンのF399の風洞開発を止めてマシンの熟成をそれ以上行なわない代わりに、2000年シーズン用F1-2000の開発に注力する決断をしたことが功を奏し[4]、コンストラクターズと合わせ、シューマッハが21年ぶりのドライバーズタイトルをももたらした。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    連戦連勝のフェラーリF1

    5年もの長きに渡り、ドライバーズとコンストラクターズの両タイトルを獲得しました。シューマッハとフェラーリは黄金時代を築いていきました。

    その後、コンストラクターズ・チャンピオンシップは1999年から2004年まで6連覇し、シューマッハも2000年から2004年までドライバーズ・チャンピオンシップ5連覇(2000年から2004年にかけて5年連続ダブルタイトル)を成し遂げた。この期間のフェラーリはブリヂストンタイヤと密接な関係を築き、他チームを圧倒した。2002年のカナダGPでF1通算150勝に到達し、そのシーズンは17戦中15勝、2004年も18戦中15勝と、「最強チーム」の名をほしいままにした。

    出典:http://ja.wikipedia.org

    上り調子のフェラーリF1 2016年は?

    ベッテル&ライコネンコンビで再び頂点を!

    近代F1シーンではレッドブルやメルセデスの台頭で、
    ふたたびフェラーリはチャンピオンから遠ざかっています。

    しかしここ最近は上り調子で、2016年はフェラーリの強さを取り戻すかもしれません

    以上、フェラーリがF1に参戦してきた歴史を一気に振り返ってみました。

    今年は王者メルセデスを破り、チャンピオンに輝くことができるか?
    期待したいですね。

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