2016/03/12
bruklyn
2016/07/19 更新
みなさんにもなじみ深い自動車メーカー・ホンダはF1参戦をはじめとするモータースポーツに深いかかわりのあるブランドです。世界中の自動車ファンも、ホンダというブランドネームは特別なものがあります。そこでホンダがF1に挑戦してきたこれまでの歴史を振り返ってみます
ホンダはここ最近、CR-ZやS660をなどのスポーツカーを積極的に生産する行うようになりました。これまでミニバンなど生活に根付いたクルマつくりをしてきたホンダですが、夢がある魅力的なクルマつくりへとシフトしているような気がしてなりません。その理由はF1参戦もあるのではないでしょうか?ホンダは2015年から、マクラーレンとタッグを組み、F1に復帰しました。しかしホンダってこれまでどのようにF1に取り組んできたのでしょうか?これまでの経緯をわかりやすく解説していきます。
マクラーレンホンダF1
2016年シーズンを前に、マクラーレンホンダF1チームの記念撮影
厳しいF1の戦いに挑むホンダですが、現在を含め4度にわたりF1に参戦。日本の自動車メーカーが、F1の世界でどこまで戦えるのか?その答えを確かめるべく、ホンダは長年にわたりチャレンジしてきました。ここではホンダがF1で歩んできた、これまでの道のりをまとめてみましょう。
世界最大のエンジンメーカーであり、最も多くの国際モータースポーツに参加している自動車メーカーであるHondaのモータースポーツの歴史は、22歳で独立し、修理工場を経営し始めた創始者、本田宗一郎が自らの手で創ったレーシングカーでレースに出場したことに始まる。
部品メーカーだった黎明期のホンダは、徐々に技術を高め1948年にはオートバイを製造開始。本田技研工業として新たなスタートを切ると、数々のオートバイレースに参戦。技術を蓄積します。
オートバイレースに参戦するホンダ
写真は日本で行われたオートバイレースの様子
ホンダは日本国内でオートバイレースに参戦すると、高度な技術力を生かして海外のレースにも挑戦。何度も優勝し、さらに自動車レースにも挑戦するのです。
オートバイレースで実績を積んだホンダは、ついに4輪へ。自動車レースの最高峰であるF1に参戦します。まだ当時F1は日本でなじみがなかったものの、ホンダの技術力を試すべく、無謀とも思えるチャレンジを試みたのです。
F1に初挑戦するホンダ
日本の国旗をイメージしたナショナルカラーに塗られたホンダF1
ホンダは1964年8月2日、ニュルブルクリンクで開催された西ドイツGPにF1デビューしました。日本の国旗をモチーフにしたイメージカラーに塗装されたホンダRA271を投入。予選最後尾ながら一時は9位を走行するなど大健闘。レースは最後マシントラブルに見舞われましたが、13位完走扱いでデビューレースを終えました。
改良型ホンダF1
2年目のシーズンでF1を戦ったホンダRA272はついに初優勝
苦しいF1デビューシーズンを経て、ホンダはオフシーズン中にマシンを改良。翌年ホンダRA272を開発します。するとF1最終戦でリッチーギンザーのドライブで悲願の初優勝。ホンダF1参戦の第一期は6シーズンに挑戦し、2勝を挙げることができました。
第一期F1参戦から15年の沈黙を破り、1983年には2度めのF1に挑戦したホンダ。第二期F1参戦は、エンジンサプライヤーとして参戦することになります。
スピリット201Cホンダ
Sヨハンソンのドライブで1983年のF1グランプリに6戦出場したスピリットホンダ
15年の間に様変わりしてしまったF1の世界。ホンダはエンジンサプライヤーとして参戦することに決めました。スピリット製シャシーにホンダエンジンを搭載して、第二期をスタート。「走る実験室」というフレーズは、このあたりから使われるようになりました。
ホンダF1黄金期
圧倒的な強さでF1を制したウイリアムズホンダ。1位~4位をホンダエンジンが独占することも
1984年からウイリアムズチームにホンダエンジンを搭載。その年、早くもF1で1勝を挙げたホンダでしたが、1986年はピケ/マンセルとのコンビで最多勝を記録し、コンストラクターズチャンピオンを獲得しました。また日本でF1のTV放映が開始されると、またたくまに日本でもF1ブームが巻き起こります。
マクラーレンホンダ
アイルトンセナのドライブで、日本中にF1ブームが巻き起こりました
ホンダは第二期F1参戦で5回にわたりドライバーズとコンストラクターズのダブルチャンピオンを獲得。ホンダは自社の技術力を十分世界中に示すことができました。そして1992年、当初の目標を達成したホンダは、F1参戦休止を発表しました
BARホンダ
2000年よりBARチームにエンジンを供給し、F1に復帰。最終的にはホンダワークス体制となりました
ホンダは2000年に再びF1に復帰します。当初BARにエンジンを供給していましたが、最終的にはホンダワークス体制へ。日本人ドライバー佐藤琢磨選手のドライブにより、3位入賞を果たしコンストラクターズランキングも2位を獲得。ところがさぁこれからというときに、世界的な経済不況によりホンダはF1を撤退することになります
マクラーレンホンダ(2016年)
アロンソ&バトンコンビで2016年のF1シーズンを戦うマクラーレンホンダ
そして現在は2015年にホンダは再び新時代のパワーユニットを開発し、F1に参戦。マクラーレンとタッグを組んで現在参戦中です。しかしテクノロジーがより複雑化した近代F1は、エネルギー改正システムやハイブリッドシステム、ターボなど複雑化しており開発は困難を極めています。とはいえ当初トラブル続きだったホンダも、徐々に改良を進め徐々に上位へ入賞できるようになりました。今後の活躍に期待ですね。
ホンダF1
いかがでしたか?以上ホンダF1参戦に関して、これまでの情報をまとめてみました。最後までごらんいただきまして、ありがとうございました。
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