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    長い歴史と伝統を持つ華やかなレース、F1モナコGPについて紹介

    ル・マン24時間耐久レース、インディ500に並び世界三大レースに一つに数えられるのがこのF1モナコGP。1929年から始まり、現在もなお続く歴史と伝統を誇るレースです。今回は、その長い歴史と伝統のあるレース「F1モナコGP」について紹介していきます。

    優勝することがドライバー達の夢、F1モナコGP

    F1のモナコGPといえば、モータースポーツを知らない方でも一度は耳にした事があると思うフレーズだと思います。モナコ公国という世界で2番目に小さい国の、モンテカルロ市街地コースと呼ばれる公道を閉鎖した特設コースをF1マシンが駆け抜ける華やかなレースです。1929年に第1回レースが開催されて以来、伝統と歴史のあるモータースポーツの一つで、また世界3大レースの一つにも数えられています。

    1レースあたり3000回とも4000回とも呼ばれる回数のシフトチェンジ、ガードレースぎりぎりのコース幅、多くのブラインドコーナー、公道ゆえの路面のグリップの悪さと凹凸、ドライバーの技量と集中力が試されるだけで無く、精密なマシンセッティングが勝負の分かれ目となります。

    今回は、そのF1モナコGPについて紹介していきます。

    F1モナコGP、有名なコーナー

    ここでは、F1モナコGPでの見所となる場所を紹介します。テクニカルな部分やコーナーの多い市街地コースですが、観光の名所やレースでの印象的なコーナーや見所を簡潔にですがピックアップしました。

    このコーナーは、カジノ前(カジノ)と呼ばれるS字コーナーです。後ろの白い建物がモナコの誇る巨大なカジノになります。現地で観戦している場合では、F1マシンの車体を前方→側面→後部へと眺めることの出来る名所の一つです。また、このコーナーからの立ち上がりがオーバーテイクポイントとなっているため、このコーナーで競っているF1マシンのコーナーでの挙動を観察するのも面白いでしょう。

    こちらはロウズヘアピンです。F1モナコGPでは、このヘアピンの手前と立ち上がった直後のコーナーがオーバーテイクポイントとなるため、接戦となっているマシンのライン取りや駆け引きが勝負の見所になります。

    こちらはヌーベルシケインと呼ばれるシケインです。トンネルを抜け、時速300km近いスピードでこのコーナーに飛び込んでいくF1マシン達は、モナコGPで一番迫力のあるシーンとなるのではないでしょうか。また、トンネルを抜けた直後による視界(明るさ)の急激な変化や、公道ゆえの路面のグリップの悪さなどから、一つのミスが命取りにもなる危険な場所でもあります。
    このシケインへの飛び込みもオーバーテイクポイントの一つとなっているため、ドライバーの度胸に見ているこちらも驚かされる場面が見られるかもしれません。

    F1モナコGPを3回した者に与えられる栄誉・モナコマイスター

    F1のモナコGPでは、「モナコ1勝は、シーズンで3勝分の価値がある」と言われるほどドライバーの実力が試される屈指の難度を誇るレースです。そのF1モナコGPを3回以上優勝した者には、「モナコ・マイスター」という栄誉のある称号で呼ばれる事となります。

    ここでは、そのモナコ・マイスターでも特に有名な2人のドライバーを紹介します。

    グラハム・ヒル選手(イギリス)

    まずは、初代モナコマイスターと呼ばれた名F1ドライバーの一人グラハム・ヒル選手。
    1963年のF1モナコGP優勝から3年連続、そして1968,1969年と2年連続の通算5回の優勝を記録したドライバーであり、またF1のワールドチャンピオンに2回輝くという華々しい成績を残したドライバーでした。

    アイルトン・セナ選手(ブラジル)

    次は、ご存知のアイルトン・セナ選手。F1モナコGP最多勝の6勝を記録したドライバーであり、また1989年-1993年の5年連続でモナコGPを制するという圧倒的な実力を持ち合わせたドライバーでもありました。

    F1モナコGPで印象的だったレース

    1970年・F1モナコGP

    ヨッヘン・リント選手(ドイツ)

    若くしてこの世を去った1970年のF1ワールドチャンピオン

    1970年のモナコGPは、F1ファンの間では語り継がれる名勝負の一つだと思います。
    レース中盤を過ぎ、トップを走るジャック・ブラバム選手とトップと15秒近い差を追うヨッヘン・リント選手の猛追が印象深いレースです。
    レース終盤に驚異的なタイムを出して猛追するヨッヘン・リント選手にプレッシャーを感じてしまったのか、トップを快走していたジャック・ブラバム選手はなんと最終ラップの最終コーナーでスピンをし、リント選手が大逆転優勝をするというレースでした。

    まさしく「勝負は最後まで分からない」という言葉そのもののレースだと言えますね。

    1984年・F1モナコGP

    1984年のF1モナコGPは、大雨により赤旗中断となったレースです。しかし、レース終盤にトップを走るアラン・プロスト選手をステファン・ベロフ選手とアイルトン・セナ選手が猛追するという劇的なシーンが見られたレースとなりました。
    また、このレースは中断によってドライバーズポイントが半分になったため、後にアラン・プロスト選手が当時のチームメイトだったニキ・ラウダ選手にドライバーズランキングで惜敗するというレースにもなりました。

    1992年・F1モナコGP

    こちらもF1ファンの間では有名なモナコGPの一つではないでしょうか。
    レース残り10周を切った時にトップを快走していたナイジェル・マンセル選手がタイヤのスローパンクチャーにより緊急ピットインをします。その間にアイルトン・セナ選手がトップに変わりますが、その後ナイジェル・マンセル選手が猛追。そこから76周目以降、タイヤもガソリンも限界のアイルトン・セナ選手は巧みなブロックによりナイジェル・マンセル選手を抑えきり優勝したレースです。

    優勝したセナ選手と2位マンセル選手との差は僅か0.215秒差。これはF1モナコGPの歴史に残る名勝負となりました。

    1992年F1モナコGP

    75周目後半からの映像です。終盤のデッドヒートはいつ見ても熱い勝負だと思います。

    F1モナコGP・まとめ

    いかがだったでしょうか。今回は、F1モナコGPについて紹介しました。
    F1モナコGPは伝統と歴史のあるレースであり、また数々の名勝負や見所のあるレースであることが分かったと思います。

    みなさんもこの記事を参考に、一度F1モナコGPをテレビで視聴してみてはいかがでしょうか。

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